用語解説 其の一
二月堂縁起
行法の伝授を請う実忠の懇願にもかかわらず、都率の天衆は、「この天の一昼夜は人間界の四百年にも及び、行法のきまりは厳しく、日々千返の行道を怠ることなく勤めなくてはならない。時間に限りのある人間の世のこと、到底この行法を修めることはかなわぬ。」と実忠を諭(さと)す。「ましてや、生身の観音を本尊となさねばならず、人間の手によってこの行法を全うすることはかなわない。」と
翌天平勝宝4年2月、実忠は生身の観音の御前にて二七ヶ日夜六時の行法を修し、以後大同4年にいたるまで60回になんなんとする参籠を数えたと縁起は述べている。天平勝宝4年といえば4月に大仏開眼供養会が挙行された年、くしくも我が国に仏教が伝わって200年目とされる年であった。
不退の行法
二月堂での修二会は、天平勝宝4年(752年)に始められたとされるが、二月堂は東大寺が兵火に巻き込まれた時も罹災を免れ、また江戸時代の寛文(かんぶん)年間に二月堂そのものが火災にあった時も仮堂を使って勤めたということから、今日に至るまで一度も途絶えることなく続いてきたことになる。このことによって「不退の行法」と称せられることもある。
練行衆役配
四職
平衆
別火
二月堂での修二会の本行は3月1日から14日間だが、それに先だって「別火」と呼ばれる前行の期間がある。「別火」とは用いる火を世間と区別して行(ぎょう)の精進を期するもので、現在では東大寺戒壇院の庫裏を別火坊と称して、練行衆全員が泊まり込みで行っている。
修二会本行は半月にも及ぶため、それに対する物心両面の準備が必要となる。「別火」では主にその準備の期間に当てられるが、前半と後半を、それぞれ「試別火」、「惣別火」と名付けて区別している。「試別火」は2月20日から25日(閏年は26日)まで行われ、「惣別火」はそれ以降2月末日まで続く。


試別火では、修二会での声明(しょうみょう)の稽古、行中に仏前を飾る南天や椿の造花作り、灯明に使う各種灯心の準備、紙衣(かみこ)を作るための仙花紙(せんかし)絞り、「さしかけ」という二月堂内で履く履き物の修理、牛玉箱というお札を入れる箱の包み紙の新調、守り本尊の補修、紐作り、こより作り、紙の付け札作り、等が行われる。


準備の合間には、社参と称する境内の参拝や、二月堂の湯屋に出かけての 「試みの湯」、二月堂内陣の掃除、また内陣に安置されている「小観音御厨子(こがんのんみずし)」を掃除する「厨子洗い」、東大寺の参籠しない僧侶に挨拶をする「暇乞い(いとまごい)」等が行われる。


「試別火」の期間中は、火を世間と区別することをはじめ、色々と約束事に拘束されるが、自坊へ忘れ物を取りに戻ったり、境内であれば制約はあるが外出もできる。但し別火坊以外で湯茶や食事を口にすることはできない。さらに「惣別火」に入ると、制約がより厳しくなっていく。
このような状況の「惣別火」期間中、練行衆は、下七日の声明の稽古、行中に使う糊たき、 二月堂内で刷るお札の紙を折る作業、ホラ貝の稽古、堂内の荘厳に使う椿の枝に造花を取り付ける作業、会中に使う法衣を身につけてみる「衣の祝儀(ころものしゅうぎ)」、行中の配役の一覧である「時数帳」の書写、等をして過ごす。
修二会中、毎日行われる行法
●六時(ろくじ)
平日は午後7時に東大寺の大鐘がならされ、それを合図に「おたいまつ」が点火される。
練行衆が上堂すると、初夜の行法としてまず「読経(法華音曲)」、初夜の「時」、「神名帳」、 「初夜大導師の祈り」、「初夜咒師作法」があり、引き続いて半夜の「時」、礼堂に出ての「法華懺法」が行われる。ただし、5、6、7日及び12、13、14日には「法華懺法」のかわりに「走り」が行われる。後夜になると後夜読経、後夜の「時」、「後夜大導師の祈り」、「後夜咒師作法」、さらに 晨朝の「時」が勤められ、その後童子の手松明の明かりを頼りに下堂して就寝する。下堂する時間は、日によるが、午前1時から午前4時半頃までの間となる。
修二会中、特定の日に行われる行法等
1日
午前1時頃、食堂で上七日(前半7日間)の「授戒」。上堂、内陣荘厳に引き続き、 開白と称してこの日だけ午前3時頃、日中の「時」を勤める。