開館15周年記念リレー展示『八宗兼学の寺』第4弾「鑑真和上と律・天台」

令和8年4月25日(土)~6月8日(月)

 

 今日、華厳宗大本山とされる東大寺ですが、平安時代から明治維新まで、「八宗」(倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・天台・真言各宗)の仏法を学び伝える「八宗兼学の寺」としてありました。そこで本特集で、東大寺の律・天台両宗を取り上げることは、決して不思議ではありません。律・天台両宗が東大寺に根付いた発端は、中国から来朝した鑑真和上の存在でした。和上が律学(律宗の教学)と共に如法受戒の作法(正式の受戒を受けた比丘が催す受戒作法)をもたらしたことは、広く知られるところです。和上が創建した戒壇院を拠点として、寺内では長く律学と受戒作法が学ばれ実践されてきました。また東大寺では、天台宗も伝教大師最澄に先んじて和上によって伝えられたと認識されており、多くの学侶が様々な意図のもとに天台宗の教学を修学してきました。そこで鑑真和上により伝えられた律・天台両宗が、東大寺においてどのように修学・相承されたのか、その実像をご紹介したいと思います。

 

 《第1部》〔2室・3室〕「天台宗」

  天台宗は一切衆生の救済を目指す大乗仏教の一派で、華厳宗と同じく全ての人は成仏できるという「一乗」の立場をとります。名前の由来は実質的な開祖である天台大師・智顗(538∼597)が中国の天台山に住んでいたことによります。智顗は各種の経典を研究し、釈尊の生涯におけるいつの時期の教えなのかを整理しました。そして『法華経』を最上位に位置づけ、また修学の方法として禅定(止観)を重視します。智顗が著した『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』は天台三大部と呼ばれています。日本では伝教大師・最澄(766∼822)が広め、その思想は仏教のみならず日本文化に大きな影響を与えています。

 

重文 東大寺要録 巻第五(諸宗章)    室町時代(15世紀)

重文 日本高僧伝要文抄 第三       鎌倉時代・建長4年(1252)

重文 釈迦如来坐像および多宝如来坐像  奈良時代(8世紀)

重文 法華文句 巻第二(東大寺聖教のうち) 平安時代(12世紀)

重文 法華文句輔正記 巻第一(東大寺聖教のうち)

                     鎌倉時代・建長8年(1256)

重文 天台宗論義抄 第一(東大寺宗性筆聖教幷抄録本のうち)

                     鎌倉時代・承久3年(1221)

重文 天台宗疑問論義用意抄(東大寺宗性筆聖教幷抄録本のうち)

                     鎌倉時代・建長4年(1252)

 

《第2部》〔4室〕「律宗」

  律宗とは戒律を実践し、また研究することを主とする宗派です。釈尊が仏教を説かれて以降、出家者は僧団を形成するようになります。そこで、集団生活のなかで正しく修行できるように、止事戒(禁ずる戒)・作事戒(行ずる戒)にわたる様々な決まりが定められます。最も基本的な「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」「不妄語」「不飲酒」という五戒から、細かなものまで数多くの戒律が存在します。これらは先輩の僧侶から授かるべきものであり、その受戒の方法もいくつかの作法が生まれました。唐代の南山大師・道宣(596∼667)が大成した律宗が最も受け容れられ、孫弟子にあたる鑑真によって日本にもたらされました。

      

鑑真和上像               鎌倉時代(14世紀)

県指定 金銅宝塔(金亀舎利塔)      室町時代・応永18年(1411)

重文 四分律刪繫補闕行事鈔 巻上之三(東大寺聖教のうち)

                     中国・南宋時代(12世紀)刊

重文 四分律行事鈔資持記(東大寺聖教のうち)

                     鎌倉時代(13∼14世紀)写

   菩薩戒本宗要雑文集         鎌倉時代・弘長2年(1262)写

   菩薩戒通別二受抄          鎌倉時代・元享元年(1321)写

重文 梵網経菩薩戒本疏日珠鈔 巻第四十一(凝然撰述章疏類のうち)

                     鎌倉時代・文保2年(1318)

   梵網経古迹聴書 上・下       南北朝時代・延元2年(1337)