よくある質問

FAQ

●境内・拝観に関するご質問

Q

参拝予約は必要ですか?

必要ありません。修学旅行や遠足など、団体でご参拝の場合においても事前予約は必要ありません。当日、券売所にて人数をお申し付けください。下見の場合も予約は必要ありません。

Q

入堂券購入の支払いで旅行会社のクーポンまたはクレジットカードを利用できますか?

申し訳ありませんが、ご利用いただけません。現金のみの取り扱いとなっております。

Q

下見の際、入堂料は必要ですか?

必要です。入堂料はちらをご覧ください。

Q

ペットを連れて入堂できますか?

大仏殿のみ可能です。但し、ケージに入れていただくか、抱っこをしていただく場合に限ります。その他のお堂はペット同伴の入堂はお断りしております。

Q

車椅子の貸出はありますか?

あります。但し、予約制ではありません。
大仏殿廻廊内は全て車椅子でご移動が可能ですので、ご参拝当日に直接、大仏殿入口の入堂券売場でお声掛けください。大仏殿入口前の詰所が開いていれば、こちらでお声掛けいただいても構いません。
また、大仏殿前駐車場までの移動が厳しい場合は、東大寺中門前の警備詰所にご連絡ください。いずれも台数に限りがありますので、貸出しできない場合もございます。
なお、大仏殿入口や警備詰所の場所は、境内案内図をご確認ください。

Q

車椅子対応のお手洗いはありますか?

境内の車椅子対応トイレは4箇所です。詳しくは境内案内図をご確認ください。

Q

おむつ交換台・授乳室はありますか?

おむつ交換台は東大寺ミュージアム地下1階の多目的トイレにあります。授乳室はありませんが、必要な方は警備詰所へお越しください。空いていれば部屋をお貸しします。警備詰所の場所は境内案内図をご確認ください。

Q

コインロッカーはありますか?

東大寺ミュージアムの券売所裏にあります。

Q

AEDはありますか?

あります。詳しくは境内案内図をご確認ください。

Q

東大寺の無料パンフレットはありますか?

あります。詳しくはこちらをご確認ください。

Q

境内に喫煙所はありますか?

ありません。境内は全面禁煙となっています。

Q

境内でドローンを飛ばしても良いですか?

参拝者の皆様の安全と文化財保護のため、境内全域でドローン(無人飛行機)等を飛行させる事を禁止しています。

●交通に関するご質問

Q

駐車場はありますか?

申し訳ありませんが、ご用意がありません。
近隣のパーキングのご利用をお願いします。あわせて交通のご案内もご確認ください。

Q

バイクや自転車を停めておく場所はありますか?

バイク・自転車でお越しの際は、必ず南大門南西に位置する駐輪場に駐車してからご参拝ください。

駐輪場の位置は、境内案内図がこちらよりダウンロードできますので、ご確認ください。

Q

タクシーの降車場所はどこですか?

東大寺大仏殿西側の指図堂前にタクシー降車場所があります。詳しくは境内案内図をご確認ください。

●大仏さまに関するご質問

Q

なぜこんなに大きい仏像を造る必要があったのでしょうか?
仏教が発祥したインド内において巨大な仏像(10m以上)が造られた例は殆どありません。
仏教が伝わっていった周辺地域、シルクロードの東西交易路に沿った中央アジアなどで、交易の経済的な繁栄によって富を得た王侯貴族らが、巨大仏像を造る願主となり、弥勒信仰とあいまって多くの巨大仏が造られました。
中国においては、5世紀頃から皇帝らが願主となって多くの巨大な弥勒仏や盧舎那仏が造られました。

『華厳経』には、盧舎那仏は宇宙そのものであることが説かれていますが、「十」という数字が宇宙に拡大出来る特別の数字であることから、仏像の基本寸法である丈六(じょうろく)を十倍したものと考えられます。

つまり、寸法としては15mと限りがありますが、内容としては無限大の宇宙的寸法と言えるでしょうか。
奈良時代、東大寺の前身寺院である羂索堂において、3年間みっちりと『華厳経』の講義が行なわれたのもそこに意義があるわけです。

Q

大仏さまの大きさを教えてください。
主な各部位の大きさは下記のとおりです。
●その他
●参考

大仏さまの左手の手のひらの実測値
・掌と手首の境の線~中指の付根の線:約1.8m
・中指の付根~中指の先端:約1.5m(但し、湾曲しているので、湾曲に沿って計測)
・親指の付根~親指の先端:約1.05m

大仏さまの足の実測値
・踵~親指の付根の線:約3m
・親指の付根の線~親指の先端:約0.9m

Q

大仏さまや大仏殿は何年で完成したのですか?

745(天平17)年 8月23日 現在地にて盧舎那大仏(大仏さま)の工事を始める
747(天平19)年 この年から大仏殿の建築を始める
747(天平19)年 9月29日 大仏さまの鋳造を始める
749(天平勝宝1)年 10月24日 3か年8度の鋳継ぎにより、大仏さまの本体の鋳造完了
749(天平勝宝1)年 12月 大仏さまの螺髪(らほつ)の鋳造を始める
751(天平勝宝3)年 この年、大仏殿完成
751(天平勝宝3)年 6月 大仏さまの螺髪(らほつ)を鋳終わる
752(天平勝宝4)年 3月14日 大仏さまの鍍金(ときん)を開始する
752(天平勝宝4)年 4月9日 大仏開眼供養会を行う
762(天平宝字6)年 4月 この頃、大仏さまの後光(光背)を彫穿
771(宝亀2)年 12月に及んで、実忠が大仏殿副柱44本補強、また11丈余りの大仏光背を建てる

Q

大仏さまや大仏殿は誰が造ったのですか?
東大寺は、奈良時代に聖武天皇が仏教の考えと、国を守るために建てたお寺です。国民ひとりひとりが自覚して実践し、その上で国造りを考えました。 聖武天皇は743年に「生きとし生けるものが共に栄えること」を願って「大仏造立の詔」を発し、大仏さまが造立されたのです。
ここで、お松明で有名な東大寺の修二会(しゅにえ)で読み上げられる過去帳の初めの部分を紹介しましょう。ここには大仏さまと大仏殿の造営に関わった人々の名前が挙げられています。
大変な数の人々の力によって大仏さまや大仏殿が造られたことと、また、どのような人々が中心となって造営がなされたかがわかるのではないでしょうか。

大伽藍本願聖武皇帝
聖母皇大后宮 光明皇后
行基菩薩
本願孝謙天皇
不比等右大臣 諸兄左大臣
根本良弁僧正 当院本願実忠和尚
大仏開眼導師天竺菩提僧正 供養講師隆尊律師
大仏脇士観音願主尼信勝 同脇士虚空蔵願主尼善光

造寺知識功課人

大仏師国公麻呂(だいぶっしくにのきみまろ)
大鋳師真国(おおいもじさねくに)
高市真麿(たけちのさねまろ)
鋳師柿本男玉(いもじかきのもとのおだま)
大工猪名部百世(だいくいなべのももよ)
小工益田縄手(しょうくますだのただて)
材木知識(ざいもくのちしき)五万一千五百九十人
役夫知識(やくぶのちしき)一百六十六万五千七十一人

金知識(こがねのちしき)三十七万二千七十五人
役夫(やくぶ)五十一万四千九百二人

●大伽藍本願聖武皇帝
聖武天皇(しょうむてんのう)のことで、「盧舎那仏造顕の詔」を発して、大仏さまと大仏殿の造営を始められました。

●大仏師国公麻呂
「国中公麻呂」・「国中連公麻呂」のことで、大仏さまの造像、大仏殿建築の総指揮を執ったのではないかと考えられます。
●大鋳師真国、高市真麿、鋳師柿本男玉
大仏さまの鋳造に中心的な役割を果たしたと考えられます。特に「大鋳師真国」は「高市真国(たけちのさねくに)」のことで、大仏さま鋳造の指揮をとったと思われます。
●大工猪名部百世、小工益田縄手
大仏殿の建築に携わった人たちです。「猪名部百世」が指揮をとったのでしょうか。

Q

大仏さまの頭のぶつぶつは何ですか?

大仏さまの頭についているぶつぶつのことを「螺髪(らほつ)」と呼んでいます。

仏教はお釈迦さまによってはじめられた宗教ですが、お釈迦さまは紀元前560年頃に誕生され、16歳で結婚、29歳で出家(しゅっけ)、修行者となり、35歳のとき「さとり」をひらかれ、80歳で亡くなられました。
お釈迦さまが亡くなられてから後、紀元前480年頃には、仏塔を建ててお釈迦さまの「お舎利(お骨)」をおまつりするようになりました。この頃にはまだ仏像というものが無く、仏塔に装飾の彫刻が施されるようになっても、お釈迦さまの部分は台座だけを彫ったり、代わりにお釈迦さまや教えを象徴するようなものを彫ったりして、そこにお釈迦さまがおられる事を表現していました。
ところが、1世紀から2世紀のはじめ頃、クシャーナ朝時代のガンダーラやマトゥラーで、ほぼ同じ頃に、形のある「仏像」がつくられるようになりました。ギリシア美術の影響の強いガンダーラでは髪の毛は波状に表現されることが多かったのですが、マトゥラーでは髪の毛が渦巻状に表現されるようになり、これが中国、朝鮮、日本へと伝わった仏像表現に大きな影響を与えたといわれています。
この「螺髪」の「螺(ら)」とは、巻貝のことで、大仏さまの「螺髪」も近くで見ると下のように渦巻き状の形をしています。真円ではありませんが、直径が約22cm、高さが約21cm、重さは約1200gあります。

Q

大仏さまの螺髪(らほつ)の数はいくつありますか?
現在の大仏さまのお顔や頭の部分は、大仏さまが最初に造顕された(造られた)奈良時代のままではなく、江戸時代に再建された時に新しく造り直されたものです。東大寺の大仏さまの螺髪は「966個」といわれることがよくありますが、これは奈良時代の頭部についてのことで、現在の頭部のことではありません。
当時の様子については『東大寺要録本願章第一』に

御螺髻(螺髪のこと)、九百六十六箇…用生銅九千三百二十四斤十二両…
右始(天平)勝寶元年十二月、迄三年六月、奉鋳御螺髻、如件。

『東大寺要録縁起章第二』には

以天平勝寶四年三月十四日、始奉塗金、…金銅盧舎那仏坐像一躰、結跏趺坐高五丈三尺五寸…膝厚七尺、足下一丈二尺、螺形(螺髪のこと)九百六十六個、高各一尺、径各六寸、銅座高一丈、…」

等と記され、ここから螺髪が966個造られたことが分かります。
現在の頭部の螺髪の数については、奈良時代とは異なっていると考えられてきましたが、大仏さまの後頭部を見渡せる場所がなく、また全体の写真なども撮影する方法がなかったので、今まで謎とされてきました。
そんな中、近年、東京大学生産技術研究所がレーザースキャンによる大仏さまの三次元計測を行われ、そのデータにより螺髪の数を数えることができることがわかりました。
それによると、「はずれてしまっている螺髪も含めれば、現在の大仏さまには、492個の螺髪が取り付けられていた、と推定される」とのことです。
また、492個の螺髪の内訳についても、現在も大仏さまの頭に付いているものが483個、落下するなどしてはずれてしまったと思われるものが9個あることもわかりました。
●レーザスキャンによる3次元データから盧舎那仏の螺髪数を算出
《東京大学生産技術研究所・大石准教授らの研究グループ》
• 頭部3次元データを平面に近い小領域に分割する(17分割)
• 小領域ごとに螺髪の数を数える

【螺髪の個数】

当初、取り付けられていた螺髪の数⇒492個
画像・データなど「東京大学生産技術研究所・大石准教授らの研究グループ」提供
許可なく画像を転載することを禁じます。

Q

「盧舎那仏造顕の詔」とは何ですか?
天平15年(743)10月15日、聖武天皇は仏教の教えによって、国民ひとりひとりが思いやりの心でつながることによって国を鎮め、平和を導きだそうと次のような盧舎那仏造顕の詔を発せられました。
朕(ちん)薄徳(はくとく)を以(もち)て、恭(うやうや)しく大位を承(う)く。 志(こころざし)兼済に存して勤(つと)めて人物を撫(ぶ)す。率土(そつと)の濱(ひん)、既に仁恕(じんじょ) に霑(うるお)うと雖(いえど)も、而(しか)も普天(ふてん)之下(もと)未だ法恩に洽(あまね)からず。誠(まこと)に三寶之威霊に頼りて、乾坤(けんこん)相泰(やすら)かに、萬代之福業を修めて、動植咸(ことごと)く 栄えんことを欲す。粤(ここ)に天平十五年歳次癸(みずのえ)未十月十五日を以て、菩薩の大願を發(おこ)して、 盧舎那佛金銅の像一躯(いっく)を造り奉(たてまつ)る。國銅を盡(つく)して象(かた)を鎔(と)かし、大山を削りて以て堂を構え、 廣く法界に及(およぼ)して、朕が知識と為し、遂に同じく利益(りやく)を蒙(こうむ)りて、共に菩提を到さしめん。夫れ天下の富(とみ)を有(たも)つ者は朕なり。天下の勢(いきおい)を有つ者は朕なり。此の富勢を以て、此の尊像を 造ること、事の成り易(やす)くして、心は至り難し。但し恐らくは徒(いたずら)に人を労(つから)することありて、 能く聖を感(かまく)ること無く、或いは誹謗(ひぼう)を生(おこ)して、反(かえ)って罪辜(ざいこ)に堕せんことを。 是の故に、知識に預(あずか)かる者は、懇(ねんご)ろに至誠を發っして、各(おのおの)介福(おおいなるふく)を招き、 宜(よろ)しく日毎に盧舎那佛を三拝し、自(おのずか)ら當(まさ)に念を存し、各(おのおの)盧舎那佛を造るべし。如(も)し更(さら)に、人の、一枝(ひとえだ)の草(くさ)、一把(ひとにぎり)の土(ひじ)を持(もち)て、像を助け造らんことを 請願するものあらば、恣(ほしいまま)に之を聴(ゆる)せ。国郡等の司、此の事に因(よ)って、 百姓(ひゃくせい)を侵(おか)し擾(みだ)して、強(し)いて収斂(しゅうれん)せしむること莫(なか)れ。遐迩(かに) に布告して、朕が意(こころ)を知らしめよ。
このように聖武天皇は、菩薩の大願を発して盧舎那大仏造立を国民に呼びかけました。広く賛同する人々を集め、共に喜びをわかち合おうとされました。
ただ、富と権力によって無理強いするのでは造立の本意が達成されません。従って、大仏造立に賛同する人達は、心からの誠を起こし、広くて大きい幸せが来るように願い、毎日三度盧舎那仏を礼拝するようにとされました。
つまり、無理矢理命令されて参加するのではなく、大仏造立に関わる人達一人ひとりが、自分自身の盧舎那仏を造るようにと言っておられるのです。