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国宝 僧形八幡神坐像

(勧進所 八幡殿

転害会一般開扉 毎年 10月5日

木造 像高 87.1cm
鎌倉時代(建仁元年 1202年)

 僧形八幡神坐像は、東大寺の鎮守八幡宮(現在の手向山八幡神社)の御神体でしたが、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈によって、東大寺に移されたものです。

 同宮は、治承4年(1180)12月の平氏の焼き討ちにより炎上しましたが、造東大寺大勧進俊乗房重源上人により再建されました。その際、焼失した御神体の新造が計画されました。

 当初重源上人は、京都・鳥羽光明院に伝来した空海感得の御影の下賜を後鳥羽院に願いましたが、東寺再興の文覚上人や石清水八幡宮も競望するところとなり、結局東大寺には下賜されなかったため、重源は信頼厚き快慶に委嘱して、この神像を新造したのでした。

 本像は桧製で、頭・体部は正中線で縦木二材を合わせています。内部は頭部にいたるまで内刳りを施してあり、漆で麻布が貼られています。ここに任阿弥陀仏寛宗の筆になる長文の墨書銘があり、その中には、後鳥羽天皇や七条・八条両女院、仁和寺守覚法親王を始め、今はなき後白河院、東大寺別当弁暁や造像に従事した快慶を中心にした結縁の仏師28人、銅細工師業基、漆工3人、或いは笠置寺貞慶の叔父澄憲や明遍等の碩学の名も記されています。

 右衽の衣の上に袈裟を懸け、右手に錫杖を執り、左手は膝のやや内寄りに置いて数珠を繰り、十方二段切付けの蓮華座に安坐する比丘形で、背後に円形の頭光をめぐらしています。一見地蔵菩薩を思わせる相好をし、肖像とみまごう程に写実的で快慶一派のすぐれた刀法の冴えを示しています。また錫杖・光背・台坐は当初のままで、遠山袈裟・肉身にもあざやかな彩色を残しており、鎌倉時代における神像としては他に比肩するものがない秀作です。

(僧形八幡神坐像一般開扉パンフレットより)


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