執金剛神像とは金剛杵(こんごうしょ)を執って仏法を守護する神のことで、金剛力士(仁王)はこの神将が発展して生まれたといわれています。法華堂の執金剛神像はこの神将のうちでも古来もっとも著名なもので、すでに9世紀初頭に成立した『日本霊異記』に、「法華堂本尊不空羂索観音立像(ふくうけんさくかんのんりゅうぞう)の背後の厨子内に北面してまつられていた」と記されています。目を瞋(いか)らせ、口をかっと開いて、いまにも怒号とともに金剛杵を振り下ろそうとする一瞬の姿が見事にとらえられています。
この像の成立時期については諸説ありますが、東大寺の前身寺院である金鐘寺(きんしょうじ・或いは、金鍾寺こんしゅじ、とも)時代の良弁(ろうべん)によって発願(ほつがん)されたとすることはまちがいないとされます。また、髻(もとどり)の元結(もとゆい)紐の端が欠失しているのは、天慶2〜3年(939〜940)の平将門(たいらのまさかど)の乱のおり執金剛神像の前で将門誅討の祈請を行ったところ、大蜂となって東方に飛び去り、将門を刺して乱を平定したからだとされ、この像の霊異伝説のもととなっています。
宝前左右の両柱に懸けられている鉄製の燈籠(重要文化財)は、この説話にもとづいて造られたもので、火袋に蜂が、左では木の枝に止まる姿で、右では羽を広げて空中を飛ぶ姿で、それぞれ透かし彫りで表されています。製作年代は不明ですが、火袋上段に見られる唐草文の蔓の延びや形から、室町時代頃のものと推定されています。
厨子の両側には板絵が描かれていますが、この同じ執金剛神像にまつわる説話のうちから二つの場面を描いたもので、板絵裏面の墨書銘によると、寛永11年(1634)6月に辻七右衛門丞なる人物によって寄進されたものです。
(執金剛神立像特別開扉のパンフレットより)
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