よくある質問

よくある質問-FAQ-

東大寺について、よくお寄せいただくご質問をQ&A形式でご紹介します。

  1. なぜこんなに大きい仏像を造る必要があったのでしょうか?
  2. 大仏さまの大きさを教えてください。大仏さまの色々な部位の大きさについて、測量値の知られているものをご紹介
  3. 大仏さまや大仏殿は何年で完成したのですか?現在知られている史料等から、創建時の大仏さま、大仏殿の建立のようすをまとめてご紹介
  4. 大仏さまや大仏殿は誰が造ったのですか?大仏さまや大仏殿の造営に関わった人々をご紹介
  5. 大仏さまの頭のぶつぶつは何ですか?「らほつ」と呼んでいますが、大きさや形をご紹介
  6. 大仏さまの螺髪(らほつ)の数はいくつありますか?
  7. 「盧舎那仏造顕の詔(みことのり)」とは何ですか?
大仏さまや大仏殿は何年で完成したのですか?
745(天平17)年8月23日現在地にて盧舎那大仏(大仏さま)の工事を始める
747(天平19)年 この年から大仏殿の建築を始める
747(天平19)年9月29日大仏さまの鋳造を始める
749(天平勝宝1)年10月24日3か年8度の鋳継ぎにより、大仏さまの本体の鋳造完了
749(天平勝宝1)年12月大仏さまの螺髪(らほつ)の鋳造を始める
751(天平勝宝3)年 この年、大仏殿完成
751(天平勝宝3)年6月大仏さまの螺髪(らほつ)を鋳終わる
752(天平勝宝3)年閏3月14日大仏さまの鍍金(ときん)を開始する
752(天平勝宝4)年4月9日大仏開眼供養会を行う
752(天平勝宝6)年 この頃、大仏さまの後光(光背)を彫穿
771(天亀2)年 12月に及んで、実忠が大仏殿副柱44本補強、また11丈余りの大仏光背を建てる

東大寺は、奈良時代に聖武天皇が仏教の考えと、国を守るために建てたお寺です。国民ひとりひとりが自覚して実践し、その上で国造りを考えました。 743年に聖武天皇は「生きとし生けるものが共に栄えること」を願い「大仏造立の詔」を発し、大仏さまが造立されたのです。

大仏さまや大仏殿は誰が造ったのですか?

大仏さまや大仏殿を造った人を特定することの意味を別にしても、造った人を明確に断定することは簡単ではありません。

そこで、お松明で有名な東大寺の修二会(しゅにえ)で読み上げられる過去帳の初めの部分を紹介しましょう。ここには大仏さまと大仏殿の造営に関わった人々の名前が挙げられています。

大変な数の人々の力によって大仏さまや大仏殿が造られたことと、また、どのような人々が中心となって造営がなされたかがわかるのではないでしょうか。

東大寺は、奈良時代に聖武天皇が仏教の考えと、国を守るために建てたお寺です。国民ひとりひとりが自覚して実践し、その上で国造りを考えました。743年に聖武天皇は「生きとし生けるものが共に栄えること」を願い「大仏造立の詔」を発し、大仏さまが造立されたのです。

大伽藍本願聖武皇帝
聖母皇大后宮 光明皇后
行基菩薩
本願孝謙天皇
不比等右大臣 諸兄左大臣
根本良弁僧正 当院本願実忠和尚
大仏開眼導師天竺菩提僧正 供養講師隆尊律師
大仏脇士観音願主尼信勝 同脇士虚空蔵願主尼善光

造寺知識功課人

大仏師国公麻呂(だいぶっしくにのきみまろ)
大鋳師真国(おおいもじさねくに)
高市真麿(たけちのさねまろ)
鋳師柿本男玉(いもじかきのもとのおだま)
大工猪名部百世(だいくいなべのももよ)
小工益田縄手(しょうくますだのただて)
材木知識(ざいもくのちしき)五万一千五百九十人
役夫知識(やくぶのちしき)一百六十六万五千七十一人

金知識(こがねのちしき)三十七万二千七十五人
役夫(やくぶ)五十一万四千九百二人

●大伽藍本願聖武皇帝
聖武天皇(しょうむてんのう)のことで、「盧舎那仏造顕の詔」を発して、大仏さまと大仏殿の造営を始められました。
●大仏師国公麻呂
「国中公麻呂」・「国中連公麻呂」のことで、大仏さまの造像、大仏殿建築の総指揮を執ったのではないかと考えられます。
●大鋳師真国、高市真麿、鋳師柿本男玉
大仏さまの鋳造に中心的な役割を果たしたと考えられます。特に「大鋳師真国」は「高市真国(たけちのさねくに)」のことで、大仏さま鋳造の指揮をとったと思われます。
●大工猪名部百世、小工益田縄手
大仏殿の建築に携わった人たちです。「猪名部百世」が指揮をとったのでしょうか。
大仏さまの頭のぶつぶつは何ですか?
螺髪(らほつ)東大寺

大仏さまの頭についているぶつぶつのことを「螺髪(らほつ)」と呼んでいます。

仏教はお釈迦さまによってはじめられた宗教ですが、お釈迦さまは紀元前560年頃に誕生され、16歳で結婚、29歳で出家(しゅっけ)、修行者となり、35歳のとき「さとり」をひらかれ、80歳で亡くなられました。

お釈迦さまが亡くなられてから後、紀元前480年頃には、仏塔を建ててお釈迦さまの「お舎利(お骨)」をおまつりするようになりました。この頃にはまだ仏像というものが無く、仏塔に装飾の彫刻が施されるようになっても、お釈迦さまの部分は台座だけを彫ったり、代わりにお釈迦さまや教えを象徴するようなものを彫ったりして、そこにお釈迦さまがおられる事を表現していました。

ところが、1世紀から2世紀のはじめ頃、クシャーナ朝時代のガンダーラやマトゥラーで、ほぼ同じ頃に、形のある「仏像」がつくられるようになりました。ギリシア美術の影響の強いガンダーラでは髪の毛は波状に表現されることが多かったのですが、マトゥラーでは髪の毛が渦巻状に表現されるようになり、これが中国、朝鮮、日本へと伝わった仏像表現に大きな影響を与えたといわれています。

この「螺髪」の「螺(ら)」とは、巻貝のことで、大仏さまの「螺髪」も近くで見ると下のように渦巻き状の形をしています。真円ではありませんが、直径が約22cm、高さが約21cm、重さは約1200gあります。

大仏さまの螺髪(らほつ)の数はいくつありますか?

大仏さま 螺髪(らほつ) 現在の大仏さまのお顔や頭の部分は、大仏さまが最初に造顕された(造られた)奈良時代のままではなく、江戸時代に再建された時に新しく造り直されたものです。東大寺の大仏さまの螺髪は「966個」といわれることがよくありますが、これは奈良時代の頭部についてのことで、現在の頭部のことではありません。


当時の様子については

『東大寺要録本願章第一』に

御螺髻(螺髪のこと)、九百六十六箇…用生銅九千三百二十四斤十二両…
右始(天平)勝寶元年十二月、迄三年六月、奉鋳御螺髻、如件。

『東大寺要録縁起章第二』には

以天平勝寶四年三月十四日、始奉塗金、…金銅盧舎那仏坐像一躰、結跏趺坐高五丈三尺五寸…膝厚七尺、足下一丈二尺、螺形(螺髪のこと)九百六十六個、高各一尺、径各六寸、銅座高一丈、…」

等と記され、ここから螺髪が966個造られたことが分かります。

現在の頭部の螺髪の数については、奈良時代とは異なっていると考えられてきましたが、大仏さまの後頭部を見渡せる場所がなく、また全体の写真なども撮影する方法がなかったので、今まで謎とされてきました。

以前、東京大学生産技術研究所でレーザスキャンによる大仏さまの三次元計測をされたことがありますが、そのデータにより螺髪の数を数えることができることがわかりました。

今回、お願いして、螺髪の個数を数えていただいたところ、「はずれてしまっている螺髪も含めれば、現在の大仏さまには、492個の螺髪が取り付けられていた、と推定される」、という結果が出ました。

また、492個の螺髪の内訳についても、現在も大仏さまの頭に付いているものが483個、落下するなどしてはずれてしまったと思われるものが9個あることもわかりました。

レーザスキャンによる3次元データから盧舎那仏の螺髪数を算出

東京大学生産技術研究所・大石准教授らの研究グループ


• 頭部3次元データを平面に近い小領域に分割する(17分割)
• 小領域ごとに螺髪の数を数える

大仏さま 頭部 正面 大仏さま 頭部 後頭部
頭部3次元データ
【螺髪の個数】
領域番号 個数 欠け その他
001 40 0  
002 35 0  
003 34 1  
004 32 0  
005 26 0  
006 18 0  
007 28 0  
008 34 0  
009 27 0  
領域番号 個数 欠け その他
010 22 0  
011 25 0  
012 28 4  
013 21 3  
014 27 0  
015 33 0  
016 16 1 1 肉髻(にっけい)珠
017 37 0 1 肉髻
合計 483 9  

当初、取り付けられていた螺髪の数⇒492個

画像・データなど「東京大学生産技術研究所・大石准教授らの研究グループ」提供。
許可なく画像を転載することを禁じます。

「盧舎那仏造顕の詔」とは何ですか?

天平15年(743)10月15日、聖武天皇は仏教の教えによって、国民ひとりひとりが思いやりの心でつながることによって国を鎮め、平和を導きだそうと、次のような盧舎那仏造顕の詔が発せられました。

朕(ちん)薄徳(はくとく)を以(もち)て、恭(うやうや)しく大位を承(う)く。 志(こころざし)兼済に存して勤(つと)めて人物を撫(ぶ)す。率土(そつと)の濱(ひん)、既に仁恕(じんじょ) に霑(うるお)うと雖(いえど)も、而(しか)も普天(ふてん)之下(もと)未だ法恩に洽(あまね)からず。誠(まこと)に三寶之威霊に頼りて、乾坤(けんこん)相泰(やすら)かに、萬代之福業を修めて、動植咸(ことごと)く 栄えんことを欲す。粤(ここ)に天平十五年歳次癸(みずのえ)未十月十五日を以て、菩薩の大願を發(おこ)して、 盧舎那佛金銅の像一躯(いっく)を造り奉(たてまつ)る。國銅を盡(つく)して象(かた)を鎔(と)かし、大山を削りて以て堂を構え、 廣く法界に及(およぼ)して、朕が知識と為し、遂に同じく利益(りやく)を蒙(こうむ)りて、共に菩提を到さしめん。夫れ天下の富(とみ)を有(たも)つ者は朕なり。天下の勢(いきおい)を有つ者は朕なり。此の富勢を以て、此の尊像を 造ること、事の成り易(やす)くして、心は至り難し。但し恐らくは徒(いたずら)に人を労(つから)することありて、 能く聖を感(かまく)ること無く、或いは誹謗(ひぼう)を生(おこ)して、反(かえ)って罪辜(ざいこ)に堕せんことを。 是の故に、知識に預(あずか)かる者は、懇(ねんご)ろに至誠を發っして、各(おのおの)介福(おおいなるふく)を招き、 宜(よろ)しく日毎に盧舎那佛を三拝し、自(おのずか)ら當(まさ)に念を存し、各(おのおの)盧舎那佛を造るべし。如(も)し更(さら)に、人の、一枝(ひとえだ)の草(くさ)、一把(ひとにぎり)の土(ひじ)を持(もち)て、像を助け造らんことを 請願するものあらば、恣(ほしいまま)に之を聴(ゆる)せ。国郡等の司、此の事に因(よ)って、 百姓(ひゃくせい)を侵(おか)し擾(みだ)して、強(し)いて収斂(しゅうれん)せしむること莫(なか)れ。遐迩(かに) に布告して、朕が意(こころ)を知らしめよ。

このように聖武天皇は、菩薩の大願を発して盧舎那大仏造立を国民に呼びかけました。広く賛同する人々を集め、共に喜びをわかち合おうと。

ただ、富と権力によって無理強いするのでは造立の本意が達成されない。

従って、大仏造立に賛同する人達は、心からの誠を起こし、広くて大きい幸せが来るように願い、毎日三度盧舎那仏を礼拝するように。

つまり、無理矢理命令されて参加するのではなく、大仏造立に関わる人達一人ひとりが、自分自身の盧舎那仏を造るようにと言っておられるのです。

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